俳優の綾瀬はるかさんが、自身の芸能界入りに際して両親が猛反対していた経緯について語りました。
綾瀬さんは、MBS/TBS系「日曜日の初耳学」に出演し、デビュー当時のエピソードや、育った家庭環境について振り返っています。
厳格だった家庭環境と父親の姿
綾瀬さんは、自分が厳格な家庭で育ったことを明かしています。父親はPTA会長を務めたこともある人物で、綾瀬さんは当時の様子を振り返り、「厳しかったです」と語っています。
具体的なエピソードとして、父親が会社へ行く際には家族全員で外まで見送りに出る習慣があったことや、父親が帰宅した際にテレビを見たまま「おかえり」と挨拶をしたことで「凄く怒られたり」した経験があったと回想しています。
「誰も喜んでいなかった」オーディション合格時の騒動
綾瀬さんが芸能界への切符をつかんだのは2000年のことでした。友人に誘われて受けた「ホリプロタレントスカウトキャラバン」にて、15歳で審査員特別賞を受賞しましたが、この結果に家族は沸き立っていたわけではなかったといいます。
当時の状況について、綾瀬さんは「誰も喜んでなかった」と明かしています。母親は娘が上京して離れてしまうことを寂しく感じており、乗り気ではなかったため、特別賞を受けた時に「(娘が)いなくなっちゃうんじゃないかっていうのが嫌で泣いてたみたい」だったと振り返っています。
また、モデルプレスなどの報道によると、オーディション合格を受けて、同行していた母親がショックを受けて先に広島へ帰ってしまうというハプニングがあったといいます。綾瀬さんは「『お母様が大変ショックを受けて先に帰られました』って聞いて、『ええ!』って」と、当時の驚きを語っています。
さらに父親も猛反対しており、母親に対して「なんでそういうところに行かせたんだ」と怒っていたといいます。父親がPTA会長という立場であったため、綾瀬さん自身が「校長室に呼ばれて先生に怒られるっていう」状況になったことも、強く記憶に残っていると明かしています。
条件付きで許された芸能活動とブレイクまで
合格後、綾瀬さんは1年ほどどうすべきか悩む時期を過ごしました。その後、家族会議を経て、父親から「せっかくだったら3年だけとかでやってみたらいいんじゃない?」という提案があり、条件付きで芸能活動が許されることになったといいます。
このように、当初は期間限定の挑戦という形でのスタートでしたが、その後の展開が彼女のキャリアを決定づけました。上京して3年目にあたる2004年、19歳の時にドラマ『世界の中心で、愛を叫ぶ』のヒロインに抜擢され、大きなブレイクを果たしました。この成功により、以降も女優業を続けていくことになったと伝えられています。
現在の第一線で活躍する綾瀬さんですが、その出発点は家族からの激しい反対と、期限付きの挑戦という意外な経緯から始まっていたことが分かります。
出典 ORICON NEWS スポーツニッポン モデルプレス FLASH 朝日新聞 綾瀬はるか 厳格な家庭で育つ 父はPTA会長 両親は芸能界入りに猛反対「誰も喜んでいなかった」|Infoseekニュース
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